最高裁判所第三小法廷 昭和53年(あ)11号 判決 1979年5月29日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人岡崎赫生、同万代彰郎の上告趣意第一点について
所論は、覚せい剤について申告することは犯罪事実を告白することになつて覚せい剤取締法により処罰されることになるから、関税法一一〇条は覚せい剤を輸入する者には適用がないと考えるべきであるのに、原判決が被告人に対して同条の罪の成立を認めたのは憲法三八条一項に違反する、というのである。
しかし、本邦に入国する者がその入国の際に貨物を携帯して輸入しようとする場合には、正規の手続として、当該貨物の品名、課税標準となるべき数量、価格等を税関長に申告し、納付すべき税額の決定を受け、その税額に相当する金銭を納付しなければならないものであるところ(関税法六条の二第一項二号イ、六七条、八条、九条の二及び三、七二条参照)、右の申告は、関税の公平確実な賦課徴収及び税関事務の適正な処理を目的とする手続の一環であつて、刑事責任の追及を目的とする手続でないことはもとより、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもない。また、この輸入申告は、本邦に入国するすべての者に対し、携帯して輸入しようとする貨物につきその品目のいかんを問わず義務づけられているものであり、前記の目的を達成するために必要かつ合理的な制度ということができる。このような輸入申告の性質に照らすと、その申告を手続の一環とする正規の税関手続を経ないで貨物を輸入し、もつて、不正の行為により関税を免れたのである以上、当該貨物がたまたま覚せい剤取締法により輸入を禁止されている覚せい剤であるからといつて、その者に対し関税法一一〇条の罪の成立を認めることが憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」を強要したことになるものでないことは、当裁判所大法廷判例(昭和二七年(あ)第四二二三号同三一年七月一八日判決・刑集一〇巻七号一一七三頁、同二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁、同四四年(あ)第七三四号同四七年一一月二二日判決・刑集二六巻九号五五四頁)の趣旨に徴し、明らかである。所論は、理由がない。
同第二点について
所論は、単なる法令違反の主張であり、適法な上告理由にあたらない。
なお、覚せい剤は関税の課税対象となる貨物であり、覚せい剤について不正の行為により関税を免れた者は関税法一一〇条一項一号に掲げる者に該当するとした原審の判断は、相当である。
同第三点について
所論は、事実誤認の主張であり、適法な上告理由にあたらない。
よつて、刑訴法四〇八条により、主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官高辻正己の補足意見、裁判官横井大三の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官高辻正己の補足意見は、次のとおりである。
横井裁判官の意見に関連して、多数意見につき若干の補足をしておきたい。
関税法一一〇条一項一号所定の関税逋脱罪は不正の行為により関税を免れる行為を罰する罪であつて輸入申告義務の不履行それ自体を罰する罪ではないから、上告趣意第一点が憲法三八条一項違反を主張する前提として関税逋脱罪による処罰と輸入申告の強制とを結びつけているのは誤りではないか、という疑問が生じるのも一応はもつともである。しかし、関税法(関係条項は多数意見の指摘するとおり。)が携帯品を輸入しようとする者において正規に関税を納付しようとすれば必ず輸入申告をしなければならないものと定めており、携帯品に関する関税逋脱罪がこの輸入申告にはじまる一連の手続を経て賦課・徴収されるべき関税についてこれを免れる行為を罰するものであることからすると、この場合における関税逋脱罪による処罰には輸入申告の強制という側面があることは否定し去ることができず、本件における場合のように、税関を通過する際に関税逋脱の意図のもとに携帯品を隠匿し、これについて申告をしない場合には、不申告の事実が不正の行為の一要素になつていることは否み得ないところ、と考えられる。なお、税関の存在を無視し、税関と全くかかわり合いを持たないで貨物を輸入する場合においても、税関手続を回避して輸入する行為自体が不正の行為にあたり、その中には当然に申告義務の不履行が含まれることになる、と解される。
このようにみてくると、関税逋脱罪による処罰と輸入申告の強制との間に関連性がないとはいいきれないのであつて、多数意見は、私の理解によれば、以上のような考察を前提としたうえで憲法三八条一項違反の論旨に答えたものである。
裁判官横井大三の意見は、次のとおりである。
私は本件上告を棄却すべきものとすることにおいては多数意見と結論を同じくするが、上告趣意第一点に関する私見は多数意見と異なるところがあるので、それを述べておきたい。
本件で関税法違反とされるのは、覚せい剤を秘匿携帯したまま輸入したため不正の行為により関税一五万余円を免れたという、いわゆる関税逋脱の事実である。
これに対し論旨は、覚せい剤の輸入につき関税逋脱犯の規定(関税法一一〇条)を適用してこれを処罰することは憲法三八条一項に違反するというのである。
しかし、税関長の許可を受けないで貨物を輸入した者を処罰する関税法一一一条のいわゆる無許可輸入罪に関する規定が、税関長に対する同法所定の申告のあるべきことを法律上不可欠の前提としているのに対し、いわゆる関税逋脱を処罰する同法一一〇条の規定は、偽りその他不正の行為により関税を免れた者を処罰するというのであつて、税関長に対する所定の申告のあるべきことを法律上不可欠の前提として含んでいるものとは思われない。本件の場合は、覚せい剤の粉末を木彫置物内に隠匿している事実を秘匿したまま通関したというのであるが、税関の存在を無視し、税関とは全くかわり合いを持たないで貨物を輸入した場合にも、関税逋脱罪の規定はその適用を見るべきものであることを考えると、関税逋脱罪の構成要件としての偽りその他不正の行為ということの中に法律上申告義務の不履行が概念必然的に内包されているものとはいえないと考える。したがつて、関税逋脱犯の成立を認めた第一審判決を是認した原判決につき、覚せい剤の場合税関長に対する申告義務を課していることを前提として憲法三八条一項に違反すると論難することは、当を得ないものというべきである。
この意味で、私は、論旨を理由がないものと考えるのである。
(高辻正己 江里口清雄 環昌一 横井大三)
弁護人岡崎赫生、同万代彰郎の上告趣意(昭和五三年二月二一日付)
第一点 原判決は憲法の違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄されなければならない。
原判決は被告人らの本件覚せい剤密輸入について被告人に対し、関税法一一〇条の罪を認したのは誤りである。本来覚せい剤の如き絶対輸入禁止品の密輸入については、憲法三八条一項との関係でその密輸入者に関税法一一〇条を適用することはできない。
一、被告人らが覚せい剤の輸入について申告を為すことは密輸入事実の告白とならざらざるを得ず、その結果覚せい剤取締法一三条によつて輸入の罪で処罰されることになる。
二、これは憲法三八条一項の自己負罪拒否(黙秘権)の基本的人権に反するものであり、従つて関税法一一〇条は覚せい剤を密輸入した者については適用されないものと考えるべきである。
三、しかるに原判決は右の点について、関税の申告制度は関税の確定、納付、徴収その他関税手続の適正処理を計ることを主たる目的とし、公益上の目的実現のため欠くべからざるものであつて合理性がある。
また申告による犯罪発覚の危険を回避するため、通関手続前に覚せい剤の輸入を中止することは容易である等の理由によりこれを否定している。
四、しかしながら、覚せい剤の如き輸入禁制品についてまで関税を課す公益上の必要性はない。輸入禁制品は元来関税定率法上課税の対象とならない性質のものである。
また、犯罪の中止が容易であるか否かと「黙秘権」の規定に違反するか否かとは別個の問題である。「黙秘権」は中止をせずに犯罪を犯してしまつた者に対して保障されている権利である。
第二点 原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められ、判決に影響を及ぼすべき重大なる法令の違反がある。
一、関税法違反の点について
1 原判決は第一審判示第二の事実につき、被告人らに対し関税ほ脱の行為があつたと認定している。しかしながら、「関税定率法第二一条第一項の輸入禁制品は元来関税定率法上課税の対象とならない性質のものであり、密輸犯が成立する場合には関税法第一一〇条の犯罪は成立する余地がない。」
2 すなわち、関税法第一一〇条はほ脱犯を処罰し、同法第一〇九条は輸入禁制品を輸入したものを処罰している。そして、同条の輸入禁制品とは関税定率法第二一条一項に掲げるものと規定している。
一方覚せい剤取締法第一三条によると覚せい剤の輸入を禁じており、覚せい剤もいわば輸入禁制品となつている。輸入禁制品はもともと輸入することができないものであつて、輸入する行為自体が処罰の対象となるのであり、従つて輸入することができることを前提としてその関税を免れ、あるいは納付しない行為を処罰の対象とする関税法第一一〇号の如きほ脱犯は、輸入禁制品については成立する余地がない。
3 そもそも関税法罰則の解釈としては関税定率法第二一条一項の輸入禁制品について関税法第一一〇条のほ脱罪が成立しないとするのが定説である。
4 ところで覚せい剤は関税定率法第二一条一項に掲記されていないので、覚せい剤についてはほ脱犯が成立しうるとの解釈も可能ではないかとの疑問が生じる。
しかしながら、関税法令は元来国の収入確保の財政上の目的、及び国内産業保護の政策から輸入品には税を課している。ところが一方、輸入禁制品については輸入関税を徴収しないことを定めている。
(一) これは貨物輸入の機会を捉えて輸入貨物に関税を課し、もつて前述の国家目的を達成せんとする国が、その法制として関税法令を制定するに当り、便宜上国が保安上輸入を禁止する貨物についても併せて定め、関税定率法において輸入禁制品には関税を課さないことを明らかにしたものと思われる。
(二) ところで輸入禁止品を定めるには、何もそれを関税法令の中において行なわなければならないという法理は成り立たいのであり、他の法令において定めることも可能である。
それ故に覚せい剤取締法においては、覚せい剤の輸入を禁じているのである。
(三) 国が立法において輸入禁止品を定めるときには、国はその貨物の輸入を禁止しないでおけば徴収しうるはずの関税収入を、保安上の理由から放棄することを自らの意思で決定しているものと考えなければならない。
そうであるとすれば、たまたまその輸入禁制品が輸入されたときには、その犯人に覚せい剤取締法、関税法一一一条(無許可輸入)により刑罰を科すれば足りその時になつて急に気が変つて刑罰を科することだけでは満足せず、さらに関税収入を欲しがるというのでは、国即ち立法者は精神分裂状態に陥つておるといわなければならない。
(四) それ故に国家が右のような政策的な目的から絶対に輸入を禁止しているものについては、もともと課税の対象から除外しているものというべきであるから、覚せい剤の輸入は課税権侵害の罪を構成しない。
(神戸地判昭和四八年一月一八日)
第三点 <省略>